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只野直三郎の略歴
明治33年10月2日、宮城県遠田郡田尻町生まれ。
只野直助の実弟
昭和7年東北帝国大学卒業。
昭和17年陸軍司政官を拝命、ビルマへ着任。
帰国後、昭和21年「天皇主権の確立」
「内閣総理大臣の公選」「道州制の実施」
を柱とする「日本再建論」を掲げ「日本人民党」を結成し
政治活動を開始。
昭和22年宮城1区より立候補し初当選、昭和27年、
28年の総選挙では連続トップ当選。
合計16回の総選挙に出馬、
最後の昭和55年は80歳を目前で立候補し
健在ぶりを示した。
「辻説法の只野」として全国遊説をつづけ
「選挙に金をかけない、
指示に生命をかける」を
モットーに清貧の政治家として一生涯を貫いた。
昭和59年9月26日逝去、享年83歳。

昭和52年度君3等瑞宝章の叙勲に浴す。

著書
・統領制度理論(昭和23年)
・日本再建論(昭和40年)
・春風(昭和46年)
・一滴の水(昭和54年)
昭和28年2月3日、吉田茂内閣総理大臣の施政方針演説に対して代表質問をする直三郎 国会議事堂衆議院前で

顕彰碑
先見の政治家
  只野直三郎顕彰乃碑
20世紀における田尻町が輩出した唯一人の国会議員。理想国家
の構築を目指した日本再建論を終始一貫して唱え続けた。その卓越
した先見性と識見は、まさに現代政治のあるべき姿を予言している。
    日本再建論
一、天皇主権の確立 天皇象徴を天皇主権に改め国体を護持する
二、統領制度の樹立 内閣総理大臣の公選制度を実施する
三、州郡制度の実施 道州制度を実施し地方分権を徹底する

 田尻町北小牛田の地に生誕。小塩尋常小学校北小牛田分教場に学
ぶ。 少年時代に内閣総理大臣になる夢を抱き、東北町学校・東北学
院専門部高等師範科を経て、苦学の末、東北帝国大学を卒業する。
 終戦直後、混乱した国の将来を憂い、日本再建論を政見とした、
日本人民党を結成。統領制度理論提唱者として、唯ひたすら辻説法
による遊説を続け、衆議院議員総選挙に連続一六回の立候補、うち
二度の最多得票を含む計三回の当選を果たす。
 選挙に金をかけず、政治に命をかけることを信条とし、最後まで
自らの政治節操を枉げることなく、先見の政治家としてその生涯を
貫き、正五位勲三等瑞宝章を受く。
 今日、只野翁の生誕100年を迎え、時あたかも政治革命の時流
にある。ここに、翁への深い敬慕の念を抱く町内外千三百五十余名
よりの浄財を仰ぎ、西暦二〇〇〇年に生誕100年記念式典を挙行
輝かしい二十一世紀の幕開けの年である西暦二〇〇一年を期して顕
彰碑を建立し、郷土が生んだ偉大な政治家の功績を称え、その志を
永く後世に伝えんとするものである。

        撰文    田尻町長   堀 江 敏 正
    平成十三年(二〇〇一年)四月
       只野直三郎先生の生誕100年を祝う会実行委員会 建立

一滴の水  一滴の水は弱い。されどその一滴が集中すれば天地を覆す豪雨となる。
              庶民大衆は非力ではない。今日の庶民には「自由」と無限大の「数」がある。  
平成13年4月28日(土)
田尻町文化センター 
除幕式にて

只野直三郎フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


国会議事録より
第001回国会 水害地対策特別委員会 第1号
本委員は昭和二十二年八月十四日(木曜日)議長
の指名で次の通り選任された。
      石川金次郎君    海野 三朗君
      上林與市郎君    金野 定吉君
      佐々木更三君    島田 晋作君
      鈴木 善幸君    田中 健吉君
      竹谷源太郎君    野溝  勝君
      細野三千雄君    小野  孝君
      生越 三郎君    工藤 鐵男君
      志賀健次郎君    鈴木彌五郎君
      圖司 安正君    根本龍太郎君
      原  孝吉君    平澤 長吉君
      本間 俊一君    山崎 岩男君
      山本 猛夫君    淺利 三朗君
      石田 博英君    泉山 三六君
      内海 安吉君   小笠原八十美君
      小澤佐重喜君    大石 倫治君
      大瀧亀代司君    角田 幸吉君
      庄司 一郎君    高田 弥市君
      夏堀源三郎君    野原 正勝君
      葉梨新五郎君    松浦 東介君
      村上 清治君    坪井 亀藏君
     的場金右衞門君    只野直三郎君
      外崎千代吉君    高倉 定助君
      木村  榮君
    ―――――――――――――
    會 議
昭和二十二年八月十五日(金曜日)
    午後二時十一分開議
 出席委員
      石川金次郎君    海野 三朗君
      島田 晋作君    竹谷源太郎君
      野溝  勝君    細野三千雄君
      小野  孝君    工藤 鐵男君
      志賀健次郎君    原  孝吉君
      本間 俊一君    山崎 岩男君
      淺利 三朗君    内海 安吉君
     小笠原八十美君    小澤佐重喜君
      大瀧亀代司君    角田 幸吉君
      庄司 一郎君    夏堀源三郎君
      葉梨新五郎君    松浦 東介君
      坪井 亀藏君   的場金右衞門君
      只野直三郎君    高倉 定助君
    ―――――――――――――
本日の會議に付した事件
 委員長及び理事互選
    ―――――――――――――
○原投票管理者 はなはだ僭越でありますが、年長のゆえをもちまして、しばらくの間委員長席を汚させていただきます。これより委員長の選擧を行います。
○只野委員 投票を用いないで本間俊一君を委員長に推薦したいと思います。
○原投票管理者 ただいまの動議に御異議ありませんか。
○原投票管理者 御異議ないと認めます。よつて本間俊一君が委員長に御當選に相なりました。委員長本間俊一君に本席をお讓りいたします。
○本間委員長 一言御挨拶を申し上げたいと思います。不肖皆樣方の御推薦によりまして委員長の榮職を汚すことになりました。どうかよろしくお願いいたします。
    ―――――――――――――
○本間委員長 引續き理事の互選を行いたいと思います。
○只野委員 理事はその數を六名とし、委員長において御指名あらんことを希望いたします。
○本間委員長 只野君の動議に御異議ありませんか。
○本間委員長 御異議なきものと認めます。
 それでは
      海野 三朗君    竹谷源太郎君
      圖司 安正君    山崎 岩男君
      内海 安吉君    小澤佐重喜君
以上六名の方を理事に指名いたします。
○工藤委員 水害地の諸般の事情から考えまして、六名の理事でも足りるでありましようが各般の情報をとる必要もありますから、十名ぐらいに今後の機會に増員してもらうことをここに提案いたします。
○小澤委員 私個人としては異議はないのでありますが、從來の慣例として理事の數は運營委員會で一定の限度で決定しておるのであります。それを特例を開いて本委員會だけで十名と決定することは手續上どうかと思いますので、委員長におかれては、委員會においてこうした發議があつたことを運營委員長に申し込まれまして、そうすると運營委員會に諮られて適當な返事が來ると思いますから、その上でただいまの工藤さんの動議を採擇するようにお取計らいを願います。
○本間委員長 それでは小澤さんの御意見の通りに委員長の方で取計らいますが、御異議ありませんか。
○本間委員長 それではさうう決します。
 本日はこの程度で散會いたします。
   午後二時十八分散會
第019回国会 建設委員会 第28号
昭和二十九年五月八日(土曜日)
    午前十一時一分開議
 出席委員
   委員長 久野 忠治君
   理事 内海 安吉君 理事 瀬戸山三男君
   理事 中島 茂喜君 理事 細野三千雄君
      逢澤  寛君   岡村利右衞門君
      高田 弥市君    仲川房次郎君
      堀川 恭平君    松崎 朝治君
      赤澤 正道君    五十嵐吉藏君
      三鍋 義三君    山下 榮二君
      只野直三郎君
 出席政府委員
        建設政務次官  南  好雄君
        建 設 技 官
        (道路局長)  富樫 凱一君
 委員外の出席者
        専  門  員 西畑 正倫君
    ―――――――――――――
五月七日
 委員菊川忠雄君辞任につき、その補欠として山
 下榮二君が議長の指名で委員に選任された。
同月八日
 委員有田二郎君辞任につき、その補欠として堀
 川恭平君が議長の指名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
五月八日
 道路整備特別措置法の一部を改正する法律案(
 中島茂喜君外二十四名提出、衆法第三三号)
四月二十八日
 広瀬橋の幅員拡張に関する請願(只野直三郎君
 紹介)(第四六五九号)
 海岸浸しよく防止対策工事施行に関する請願(
 山崎岩男君外三名紹介)(第四六六〇号)
 海岸浸しよく防止対策工事施行に関する請願(
 淡谷悠藏君紹介)(第四七〇八号)
 槇町ビルデイングの移転計画撤回に関する請願
 (山本正一君紹介)(第四七〇九号)
 福田橋を永久橋に架替えの請願(小林絹治君紹
 介)(第四七四二号)
の審査を本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した事件
 道路整備特別措置法の一部を改正する法律案(
 中島茂喜君外二十四名提出、衆法第三三号)
    ―――――――――――――
○久野委員長 これより会議を開きます。
 ただいま付託になりました道路整備特別措置法の一部を改正する法律案を日程に追加し、審議を進めるに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○久野委員長 御異議なしと認め、本案を議題に供します。まず提案者より提案理由の説明を聴取いたします。中島茂喜君。
○中島(茂)委員 道路整備特別措置法の一部を改正する法律案の提案理由について御説明申し上げます。
 道路整備特別措置法によります地方公共団体が行う特定道路整備事業は、その道路の新設または改築に要する費用に充てるための資金については、特定道路整備事業特別会計からその貸付を受けることになつておりますが、現行法では資金の貸付は、昭和二十七年度以降三箇年間を限るものと規定されているのであります。
 一方特定道路事業の建設状況は、昭和二十七年度及び昭和二十八年度において二十四箇所、事業費四十四億円をもつて建設中でありますが、昭和二十八年度及び昭和二十九年度において、三重国道等九箇所が完成するにすぎないのでありまして、なお約五十億円、うち貸付分約三十五億円の事業量が昭和三十年度以降に持ち越される状況であります。このような特定道路の建設状況にかんがみまして、特定道路整備事業特別会計から地方公共団体に貸し付けることのできる期間を、とりあえず昭和三十年度以降三年間延長する必要があるのであります。
 これが本改正案を提案する理由でございます。何とぞ慎重御審議の上、すみやかに可決されんことをお願いする次第であります。
○久野委員長 本案に関しまする質疑は次会に譲りたいと存じます。
 本日はこの程度にて散会いたします。
   午前十一時三分散会

- 建設委員会河川に関する… - 6号
昭和29年08月12日

-          只野直三郎君 ダムの建設の犠牲者に対する根本的対策に関して、建設省当局の御意見を承りたいと思います。

 今度の全国的に行われておるダムの建設ということは、これは日本の国土計画の、いわば革命的なことである。従つて、そのダムの建設のために犠牲になる人というのは、いわば日本の国土計画の革命の犠牲者、日本の再建の犠牲者、そういうことになると思いますが、現在八人の方の陳情をお聞きしますと、ことごとくが、これはかなえてやらなければならぬものであるというふうに私は痛感をしたのであります。

 そこで、先ほど河川局長さんのお話で、大体の方針はわかつたのですが、二、三の方から特に要望しておるところの、たとえば土地を離れる者が、その土地を離れることによつて受けた精神的障害、それに対する慰藉料の請求、こういう考え方は、これはもつともだと特に私感じたのであります。やはり土地を離れたというそのことのために、将来の生活が容易でないということ、そのほかに精神的な衝撃によるその人の生活態度の変化ということもある。そこで国家としては、それだけのものをやはり与うべきではないか、それに対して今度新しく立法措置をするとするならば、そういうふうな点を十分に考慮しているかどうか、そのことをひとつお聞きしたいと思います。

 それから、今の、たとえば電源開発で犠牲になつた、その場合に電力を特別にその犠牲者のために安くしてもらえないかという要望があつたのですが、それは電力料金の関係から安くはできない。安くはできないとしても、安くしてもらつたと同じような保護政策を特別に立法化する必要があるのではないか。そうしなければ、一律にみな同じ料金を払う、犠牲になつた人も同じ料金を払つて行く、それは非常に不合理なんです。そういうことをなからしむるように、やはり国家がそういう場合に特別の保護規定を設ける必要がある、そういうふうに思いますが、そのことについてどうお考えになるか。

 それからこの金銭補償によつて、一時に何十万あるいは百何十万というような大金を――大金を比較的あまり持たない着実な農業生活をやつておる人人が、一時的に大金を持つことのために、やはりそこに経営その他その金の支出、そういうことに度を失うことがあるのではなかろうか、それに対する保護対策を何とか考える必要があるのではなかろうか。たとえばその金を特別に預かつておいて、それに対してむやみに浪費させないように、何か特別な組合を組織するとかなんとかして、めちやくちやに金を使つてしまうことのないように保護指導するということが、これは非常に親切な行き方であるのだろうと思いますが、そういうことについての保護対策、そういうことも、この犠牲になつた人々のためにする親切なやり方である。とにかくダムをつくることのために大部分の何十万、何百万という人が利益を受ける。しかも五万、六万、十万程度の人がそのことのために大きな犠牲を払うことになるならば、受益者である一般国民としても、これは捨てておけない問題だと思いますので、立法措置をする場合に、そういう点に対する政府当局の考え方はどんなふうなのであるか、以上のことを大体お尋ねするのです。

 それからもう一つ、これは陳情者側の藤原ダムの林賢二さんのお話にあつたのですが、補償をめぐるかけひきのために犠牲者の間に混乱が起つておるということですが、そのかけひきというのは政府側の方か、あるいは当局側の方から来るかけひきであるか、あるいは被補償者に対する補償金その他をめぐつて、第三者がいろいろな策略を用いてかけひきをするのであるか、そういうことについて、ただそれだけでは十分に納得行きませんから、時間がなかつたので御説明することができなかつたのだろうと思いますので、もし適切な例がございますれば二、三の例をお聞かせ願いたいと思います。

-          - 厚生委員会 - 3号
昭和29年12月03日

-          只野委員 私はただいま議題となりました医師法、歯科医師法及び薬事法の一部を改正する法律の一部を改正する法律案につきまして、実は遺憾ながら反対の意を表するものでございます。

 私は厚生委員会に関しましては、一昨日厚生委員にかえられましたので、皆さんの審議の状況等に関しましてはこれを十分承知しておるものではございません。ただ国会議員の一人としてこの医薬分業の問題については若干の研究もいたし、関心を持つておつたのでありますが、本日私が反対する理由は二つの点からでございます。

 一つは国会の権威を保たねばならぬということであります。もう一つはこういう重大問題ではあつても、やるときめてやるということになれば、国民の方の受入れ態勢はやはりそれに従つて来る。もしこれがやるときめておつても政府、国会その他の関係方面の腰がふらつけば、やはりそこに不安動揺が起つて、いたずらなる摩擦相こくも発生するものである。そういう点から若干私の意見を申し述べたいと思います。

 まず第一に国会の権威の問題でありますが、国会は申し上げるまでもなく国家の最高の機関であつて、その最南の機関で一応決定したことは、いわゆるりん言汗のごとし、そこに権威があると思います。従いましてその権威をわれわれが保つためには、どこまでも実行すべきは実行する。そうでなければ国民が迷うと思うのです。そういう意味においてまず第一に国会の権威を失墜することをしてはならぬという点から反対するのです。

 第二点としては、占領政策の行き過ぎの是正という点も巻間いわれておるようであります。また委員会等においてもしばしば問題になつておるようでありますが、私はこの占領政策の問題と医薬分業とは関係はないと実は考えております。というのは、医薬分業のような問題はすでに世界の先進国が実際にやつており、そして実績を上げておる。日本が遅れておる。遅れておるのをアメリカがやつて来て忠告をした。それを日本の国会が取上げて、満場一致でとりきめて、その通りだということになつた場合に、その医薬分業そのものが、占領政策のために日本の国民の自由意思が阻害されておつたきらいがあるから、ここにその行き過ぎを是正するということも考えられ、また延期もせねばならぬということも考えられるとするならば、それは大きな誤りである、そういうふうに思います。

 それからさらに、これはよけいなことになるかもしれませんが、国会が一度決定したことが、いろいろな外からの力そういつたものが入つて、そのことのために国会が左右されたという印象をかりに国民に与えたとするならば、これは国会そのものが信用されなくなつて来る。そういう点から私はやはり国会議員は白紙委任を受けておるのだから、白紙委任を受けている国会議員の意思で決定したことは、やはりそのときにおける最上のものであるという信念で行かなければ、国民に対して国会を信頼させることはできないだろうと思う。こういうことが反対の理由として大きく取上げらるべきものだろうと思います。

 最後に、この医薬分業を実施するのは非常に困難であるだろう、ことに薬剤師側と医師会側とが相こく摩擦をやつておるから、こういうさ中にこれを実施することは危険だろうというふうにお考えになるだろうけれども、国民は薬剤師にもあるいは医師会側に対しても両方を信頼しているはずだと思う。しかも政治の対象は国民なんだ。そうすれば、その国民の利益のために、医薬分業がよろしいという国会の方針が定まれば、当然医師も薬剤師もそれに協力して来るはずだ。これは私は聞くところによれば、すでに聡明なる医師の人々の中にはもう自分が医師をやりながら同時に薬局も併置して、そうして完備したものをやろうというふうに積極的に動いておる。国会がぐらつけばそういうものはだんだん減つて来る。そうすれば、国会が動揺するたびに医師会と薬剤師との対立が深刻になつて来る。国会が断固としてこれを実行するなら、薬剤師側も国会がそうきめた、医師会側も国会の意思は動かせない、こうなつたならば薬剤師と医師会は協力するものなんだ。医者と薬とは離せない。薬剤師と医師がけんかするということそれ自体がおのれとおのれがけんかすることなんだ。こういうことを考えましても、国会が躊躇逡巡するということは、これはいたずらに国民の間に不安動揺を起すことになるわけでありまして、私はどうしてもこれはすぐやつた方がよろしい、やりながら欠点を直して行く、これが厚生委員としては日の浅い私が先輩諸兄のお話を承つておつて、一応私先輩諸君の御苦心のほどは十分わかつておりますけれども、私は私の立場から私の意見を申し上げたのでございます。ただ大勢はすでにきまつたようでありますから、これは先ほど来政府の方々やあるいは参議院の方の提案の御説明を承つて、やむを得ないものだろうと実はひそかには思つております。ひそかには思つておるが、少くともこういう重大問題に関して
━━━━━━━━━ということを繰返すようなことがさらにあつたら、たいへん危険なことだと思います。そういう意味におきまして私はこれは来年の一月一日からただちに実施すべきものと考えますので、反対をいたすのであります。




2006年11月大崎市田尻町
文化センターで
只野直三郎特別展が
開かれた




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